神、湯島天神、山王、烏森稲荷、築土八幡、角筈の社、五条天神……等があつたといふ。寺社のある[#「ある」に傍点]といふことは、それだけ人の栄えたことを意味するものである。
源頼朝が鶴岡八幡の社殿を造営した時、これに堪ふる腕の工匠が鎌倉には見当らなかつたところから、特に宮大工を江戸の浅草から呼寄せて造営に当らせたといふ史実の残つてゐるのは、当時江戸に、然る可き「文化」の備はつた実証と見ることが出来る筈である。
――とはいへ、到底「繁華」といへるものではない。只この土地に住み付いた人文の歴史は浅からず近からざる、その意味で徒らに狐狸の住家ではなかつたといふわけの(家康入国の当時は、縦十二町、横三、四町の市街があつたといふ)、わびしいことは、わびしい土地柄だつた。水戸から江戸に移り住んだ先住の佐久良東雄がいつたといふ「身は都に住めども狐狸を友として荒野に坐するが如し」。所詮これは、当時の実感だつたらう。
時は飛ぶが丸の内に草蓬々として「三菱ヶ原」のあつたのは、久しく明治の景物画だつたが、やがて大正年度にかけて、三菱ヶ原がすつかりコンクリートで埋まつた時に、――さしもの武蔵野も、その最後の
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