らしく、なほ江戸氏の他にこの土地には、古く葛西氏(東)あり、豊島氏(北)あり、今にその名こそ止めないが「吉良氏」などの古豪もあつて、いはゞ「督軍」であらう。これが何れも深く蟠居して、夜毎の月の「草より出でて草に入る」平原を古くから馳駆し開拓してゐたことは、古い歴史が訓へるところである。そして大ざつぱにいへば、なかんづく江戸氏が、草原の中央部分に覇を成してゐた。――江戸太郎重長は八ヶ国の大福長者といはれた。
 江戸氏が「草原の中央部分に覇を成してゐた」と大ざつぱなことをいふのも、実は厳密に見れば、当時果して江戸氏の勢力範囲が正確に[#「正確に」に傍点]「草原」の中心だつたか、あるひはかたよつてゐたか、これは解りにくい。とに角江戸氏の古い居住が後の江戸本丸のあたりだつたらうと推定されるところから、その後の人間、われわれは、帰納的に推して、この豪族をこの土地の中央部分にゐたものだらうと考へるわけである。徳川時代から明治へかけての江戸・東京の市邑ともあらう区域は、思ふにそれが古くは江戸氏が占めた範囲であつたらう。江戸氏は徳川氏が江戸を居城としてからはこれをはゞかつて、改姓して喜多見氏と称した。
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