の間に小屋のやうなたまり[#「たまり」に傍点]が出来て、係官がそこに股火などしてゐた。
 情報局はその後、元の参謀本部の建物へ移つたけれども、参謀本部の建物は戦災につひえたものの中での、東京で惜しいものゝ一つだらう。殊に建築の内部の壁の装飾や、照明器具や、室内調度、各室のとびら、窓、階段、天井……などのつくりが生きた建築史だつた。
 それは前にもちよつと記した通り、規矩装飾は外来の法に学びながらも、実地の仕事は、日本の宮大工系統のものなぞが「墨繩」を引いたもので、今でいふブリキ屋を「飾り屋」と呼んだころの、何れも誠実丹念な仕事振りで出来てゐた。
 開閉窓のちよつとした金具やとびらのつまみにも滋味きくすべき良い仕事が見られた。図は壁紙模様の一部を写したものである。
[#情報局の壁の模様の図(fig47728_07.png)入る]
 戦争当時はわれわれの方にも美術報国会といふものが出来、時々情報局にも用があるので、「旧参謀本部」の建物へ行つたものだつたが、ぼくはその度にそこの装飾調度を見るのが楽しみだつた。
 正面大階段の大きな螺旋状なした立派な木材の手すりは、その小間に痛々しく白木の板が
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