水道橋のところ、野球場の片わきに、昔は砲兵工廠の本屋だつた古風な赤煉瓦の建物が、いまは既にこなごなに壊れてわづかに礎石の残る跡を見るだらう。つい先ごろまではこんな片々たるものも、それでもコンドルさんをしのぶ懐しい一つの影だつたものである――とに角われわれ年輩のものは、少年のころに積木といふ、小さい木片で出来た、ねぢねぢの塔や門や、三角の屋根や……これに赤や青の簡単な彩色をしたもの、それらを組立てて楽しい「西洋館」を造る、さういふオモチヤを持つて遊んだものだつた――「コンドルさん」の文明が、われわれを遊ばせ楽しませてくれたものである。よしんばいまは壊滅したといつても、現在の形になる前の赤煉瓦だつた上野の博物館を知らぬ人はなからうし、又丸屋根はその後変つたといつても、まさかニコライ堂を知らない東京に住む人はあるまい。――これもコンドルさんが建てたものである。
ジョサイア・コンドル博士は英国から明治十年に来朝し、滞日四十四年の長きにわたつた人で、新興日本に関して、少くもその建築部門にかけては「先生」以上の「親」ともいふべき、慈教至らざるなき立場をとつてくれた方である。帝劇の出来るとうに廿年
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