Josiah Conder について知るところを述べよ、といつたやうな問題を出しても見たいと思ふものゝ、一ころは東京に、「コンドルさん」をしのぶ記念――否、記念といふよりも、もつと現役に生きたものだつた――これは至る処一杯だつたといふも過言でなく、しかもわれわれ日本人は、日夕、この眼に触れる「コンドルさん」に知らず識らず訓へられ、導かれたのである。霞ヶ関の日比谷公園寄りにある海軍省などは、何は無くとも、諸外国に新興日本の「威」を示すために、官庁のイレモノは立派にと、当時の伊藤政府が心をくだいて打建てた記念物で、これがコンドル博士の設計に成るものである。
[#コンドル博士の図(fig47728_06.png)入る]
 ――その後はどうなつたらうか。東京のかう壊れない前は、浜町公園に行くと、園内に誰しも何だらう?と思ふ、西洋のお宮のやうな、一基の建てものがあつた。これが、さゝやかながらコンドル博士を記念した「堂宇」といへばいへたやうなもので、諸方のコンドルさんが手がけた建築物の遺品をあつめて作つたものだつた。ああその遺品さへも、今は現にこの東京で、手に入り難い。
 省線電車でお茶の水から
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