来江戸風――日本建築風――の橋の場合には、欄干から橋ゲタへかけての見付きを、横の木組み二本引きに、平行したのが、古来からの例であるが、明治初年製の橋には、これが一ころのロシヤの旗のやうに、十文字を斜め横に置いた形のぶつちがひに、木を組んだものが多い。そしてそれが小さい橋よりも、名だたる大橋なり、主要の橋に多い。木も素地《しらき》よりは黒で塗つたものが多く、一時の日本橋、柳橋、両国橋、永代橋など、皆これでないものはない。と、いふのは、これは、日本固有の風ではなく[#「日本固有の風ではなく」に傍点]、西洋伝来の橋のやり方を、材料は昔のまゝの、木材で刻んで、橋に造つて架けた、そこで出てきた新形式である。いつ如何なる日本の橋の欄干にも、木組みをぶつちがひに渡した形ちといふものは、明治初年の、これらの橋の外にはない。更にこれの注意すべき点は、この形式は、西洋の鉄橋を[#「西洋の鉄橋を」に傍点]、構造風にまなんだから出来たといふことだ。
明治初年の名ある建築物は先づ例外なく初めすべて外人の手に成つたものだつたが、その材料は、相当の不便をあへてして、純西洋風に、石あるひは、鉄材によるものが少くなか
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