半径の円周はそれから東進して、小石川表町、福山町――この辺にそのころ新興の「銘酒店風景」を材として、樋口一葉が明治二十八年に小説『にごりえ』を書いた、当年の新開地――それからがけを越して、西片町、本郷森川町、帝国大学へと進み、下町に転じて、不忍池、上野町、竹町、向柳原、両国橋と円周は南下しつゝ、浜町、箱崎町、永代橋と、起点へかへる。
 以上はつまらない机上の思ひ付きの「東京地図円周遊び」のやうなものではあつても、前の二寸一分半径の中と、後の二寸五分半径の場合との開きの、四分のところに、例へば本郷でいへば、例の「かねやす」から東へ数町の、切通坂界隈を含んでゐる。
「切通し」は古く下谷から湯島台へと通路を切通したところから来た名だが、元禄のころから町並地となつた土地柄で、一ころは徳川家康に従つて浜松から東下して江戸城の工事に従つた大工の棟りやう十人が拝領した――これが湯島片町だ。下町から高台へと抜けるにはどうしても通らねばならぬ切通坂ながら、これがためし斬り、抜打ちの名所で、江戸の親知らずだつたといふ。さういふ「江戸の外」が半径四分の開きの中にある。


     十五、永代橋とその橋脚

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