町、肴町、江戸川の大曲、富坂、春日町。これで元の本郷三丁目「かねやす」までの起点へもどる。この円の中の下町は昔から手堅かつた商家筋であるし、山の手は名だたる武家町で、丸の内本丸の外廓を成してゐる。
同じ中心からの線を川まで延ばして見ると、右の二寸一分が四分延びて、二寸五分半径で永代橋へぶつかる。そのまゝ同じく円を描くと、永代橋から南へと、佃島の川寄りの線をかすめて、勝鬨橋から浜松町、大門と上陸し、芝公園をよこぎつて赤羽橋、飯倉片町、――龍土町、青山墓地、神宮外苑、台町、若松町。円周は北進して、早稲田南町、山吹町、江戸川、清水谷町……と、地図の上で見るわづか四分の差であるが、二寸一分半径の円周が区切つたところよりは、ことに昔はさぞ辺ぴだつたらうと思はれる西北部、早稲田大学のエールにいはゆる「都の西北」へかゝる。
早稲田大学は明治十五年の創設であるが、名の如く早稲田たんぼのたゞ中に展かれた大隈氏の学園で、こゝから西へ高田馬場へ騎行すると、昔は将軍臨幸のやぶさめが行はれた。今風にいへば、ゴルフが行はれた。界隈に打展いたゴルフ場であつたといへばよいだらう。
早稲田の一角をよぎつた二寸五分
前へ
次へ
全68ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング