ないが、空前であつたことは確である。
 今年は殊に新聞社の催しものが多く、規模も大がかりで、朝日の綜合展に次ぐ、今は毎日の美術団体連合展が開かれてゐる。
 新聞の催しは、各社共これに乗りかゝつた以上、片々たるものでないし、宣伝も届くから、広く人を招く「展覧会」としてふさはしい行事ではあつても、やゝもすると「新聞社」は「敵本主義」の、アレがやるからオレもやるといふところがあつたり、殊にをかしい傾向とも欠点とも見えることは、A社が主催すれば、その展覧会が如何にすぐれたもの=報道価値充分のもの=であつても、他のB社、C社は紙上にその報道を一行も書かないといふかたぎが目に余ることである。これは面白いと思へない。
 それと、新聞社の催しともなれば、強引にも行くから、機の熟すると否を問はず、やり出したらとも角そのやることをやつつける[#「やつつける」に傍点]傾き無しとしない。例へば果して今美術界の綜合展は、綜合されれば会に依つては同じシーズンに二回展覧会を繰り返すことになるがその必要があるだらうか、秋の官展に対する――官展は所詮アカデミズムまたはトリビアリズム一方のところであつていゝ、――春の綜合
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