展は、名実共「綜合」といふたてまへで、大新聞社が若し共同主催でこれに当るといふやうなことになれば、それこそ文化国家の正しい名において、如何にふさはしからうかと、空想をする。


     十三、森川町

「本郷区」を改正して「文京区」としたのは、大森・蒲田を合せて「大田区」とやつた愚案に比べれば、良い方だつたが、ぼくは、相当久しくそこの「森川町」に住んでゐた。東大の正門前を左へはいつたところだ。――この文京区の一角は、こんどの戦災に焼け残つた。
 早くも四半世紀前とはなつたが大正震災のころ、ぼくが森川町にゐたのはその時分で、地震の時は丸二日間といふもの、近くにあとからあとからと揚がる火の手を見い見い、いざとなれば立退く身支度をして、森川町寸角の中にこもつてゐた。結局この時も、随分近くまで焼き払はれたに拘らず、あの一角は焼けなかつた――いはゞ浅草の観音様よりも、火事運の良かつた土地柄といはなければならない。火事運が良かつたばかりでなく、さてさうして、近年二度の大災を免れて見れば、その残つた姿は町そのものといひ、家々といひ、その各戸のなかの造作、畳建具に至るまで、広く「東京」といふ観点から
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