定抜きといふ自由奔放はやれないから、思へば東京生活も、昔は「やりが迎ひに来た」もので、美術館から上野の山下まで下りるにも車を拾つたものだし、頼まずとも町の行きずりにモカのコーヒーが飲めたものだつた。
 この意味では「昔を今に成すよしもがな」かも知れない。舌頭や足の先きのことばかり云ふのではない………


     二、お江戸日本橋

 東京がいつ帝都となり又「東京」といふ名になつたか、といふことは、衆知の八十年来の史実で――今さらぼくが喋々するまでもない――今では京都を西京といふ人も、その習慣もなくなつたやうだが、この「西京」こそは、新「東京」に対して、明治初年ごろに庶民の間で旧都を呼びならした、昔をいとほしむ一つの愛称であつたゞらう。
 東京もその発音は正規の読み方をされずに「とうけい」となまつて呼ばれる場合が少くなかつた。これも今ではさう呼ぶ人も習慣もなくなつたであらう。
「お江戸日本橋……」といふ道中うたが伝唱される。これもその後は――といふのは明治以後は――聞くことも少なくなり、雑曲ながら関西の「京の四季」こちらの「夕暮」「海晏寺」などと並んで、風物を詠じた写生唄の「古典」の一
前へ 次へ
全68ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング