の輸入になり、文久三年版の「横浜奇談」に、「異人館……夜分に至れば、燈台にギヤマンの覆をかくれば、その明るきこと毛筋をも見あやまつことなし。いづれも屋敷の門の上にギヤマンにて製造なしたる行燈の如きものあり」とあつて、(今の言葉からいへば)たかゞランプ一つの明るさにも、こんなに驚いた時がある。物の比較観念は妙なものである。
[#ランプの図(fig47728_02.png)入る]
七、モノの値
モノの比較観念は比較対照の基準がぐらつくと「観念」そのものを一応五里霧中のものにしてしまふことは、現在の「物価」でわかる。今この原稿を書留速達にしようとするのに、郵税が十円なにがしかゝつて、往年の百倍であることは、郵便が国営であるかぎり、すべてモノの値が百倍になつたといふ「基準」になるものかどうか。明治廿八年版の雑誌太陽には「せめて米が両に五斗、原稿紙が一枚十円」になつたら、文壇に傑作が出るだらうといふことを誌してある。それはしかし「弥勒出現の時代の夢」だらうとしてゐるところは、「両に五斗」といひ「一枚十円」といふ、双方の数字を、考へ能ふ最大のプラスマイナスの開きに引離した、筆者の
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