ら、すでに「ガス燈」の文字は散見する。「いづれも真のガス燈に非ず、石油燈なるべく、当時は街燈のことを、概してガス燈と称せしなり。」(研堂氏)――これが正しい解説である。
[#ガス燈の図(fig47728_01.png)入る]
 一ころの町の夕ぐれには、きやたつを肩にかついで、いはゆる点燈夫が、街々の「ガス燈」に火を入れて歩いたものだつた。――細かく云へば、これは或る期間は石油のガス燈だつたし、後には文字通り瓦斯のガス燈を扱つたものだつたが――馬車の御者は、その小弁慶のはつぴ装束をうたはれて、路上のイキとされて、伝はる。点燈夫のさつさと町から町を日暮れに飛んだ姿も、同じやうに当世のイキだつた。
 当時は天覧演劇であるとか、あるひは貴顕の邸へ陛下の御臨幸ある場合などは、ガスの大気嚢であるとか発電機を特にそこへ持運んで、照明の用に供へたといふ。明治陛下が有栖川宮殿下の邸から、その時使つてまだ点《とも》しきらなかつたガスの大気嚢をお土産にお持帰りになつたといふ記録もある程である。
 そんな風に、この土地の「夜」は年々明るくなつたとはいつても、まだまだ明治時代は総じて暗かつた。先之、ランプは幕末
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