似顔を建てるものといふ式に、わるく通念化されたのは、残念なことである。これらが戦争の期間に大抵撤去されたのはかへつて良いことだつたかも知れない。最後に東京には、上野の西郷さんを初めとして、数品が残り、特にさうえらんだわけでもなかつたらうが、その残された数品が何れも「西洋手法」に基く作といはうよりも「和製品」であつたのは、やがて後世の検討に対して、一つのテーマを与へることになつた。
 ――ぼくは、その後の現状を見てゐないから、はつきりしたことはいへないけれども、楠公の像は、それがキンだといふので、カブトの前立ちを二本とも盗まれたまゝ、あたかも近代の部隊長が鉄カブトで現はれたやうな頭の恰好に変つて、宮城前にとぼんとしてゐるといふことを聞いた。
 ――美術品の毀損や盗難についてゞあるが、フランスでは、国管の美術省に一切その辺に関する処置権限が任されてゐるやうである。有名な事件のルーヴル美術館からモナ・リザの像が盗まれた時にも、捜索から発見、発見者への表彰、一切の手続きが、美術省の手で行はれた。
 日本ではこれが「盗難」ともなれば、クツ一足から国宝に至るまで、一切その処置権限は関係筋とは切離された警察行政の「専門部」へ渡されるのだとすると、専門へ渡されたからその探求検挙の手順が早いかといふのに、必ずしもさうでない、将来性としては、これは帝国芸術院あたりの権限に委ねられるのが理想的だと思はれる………
 永年須田町一角の「親知らず」に屹立して、近ごろではその台上のポーズを「交通整理」などと悪口にいはれながらも、ナントナク都民に愛されてゐた広瀬中佐の銅像も、撤去の運命となつたのは、致し方なかつただらう。銅像作品としての出来は遺憾ながら惜しまれて散る花ではなかつた。たゞ「須田町の広瀬中佐」が都民に感傷を与へるだらう。明治四十三年以来あの一角に建ちなじんだものであつた。渡辺長男氏原型。岡崎雪声氏鋳造のものである。
 最近あの銅像を撤去する時、下の杉野兵曹長は場所が低いから無事に台座を下ろしたけれども、高い方の広瀬中佐は、いきなり像身に綱をかけて下からひいたために、無残や、転落して、さすがに土地の人々は、見るにしのびなかつたといふことである。漢詩風に云へば、三十八年唯一夢。


     二十、舶来即上等

 今いろんなものが無いといふ。紙が無い、筆が無い、墨が無い……然るにわれわれ昔
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