しらの白さに、初めそれが何であるか、了解がつきませんでした。段々とこれが本当の「海」であり「波」であることを知つて、文字通り固唾をのむ心持ちでした。(その時の印象は今だに「波」だけです。燈台も何もおぼえありません。その代り「波」は今だにありありとはつきり眼底にあります。)
また山を見たのは――これも学校の遠足が日光、筑波山などと、順に山に馴れさせたとは思ふが抑々「山」らしい山を見たのは、二十歳に近づいて京都へ行つた時が初めで、東山に絹糸のやうな霧雨が降りこめてゐました。そして間もなく東三本木の宿へ着いてから雨が霽れると、それまで何も無かつた空からみるみる紺青色の比叡山がぬつと現はれて来ました。これにドギモを抜かれました。その時の比叡山の一角をかすめた空の澄んだ青さは、死んでも忘れぬ印象でせう。
文字通り「他国」の空です。東京には想像をも空想をも絶して夢にも、無いことです。
私の書きものは一言半句正に何にもならない徒事徒言に過ぎないと思ひますが、これに「滑稽」ともいふべきものありとすれば、日常、夢にも右にいつた「山」とか「海」とかいふモノ[#「モノ」に傍点]を感じたことのない塵埃の
前へ
次へ
全10ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング