中の人間が誌した雑記として、あるひは多少その塵のカンジは出てゐるかも知れないといふことです。
本書を手はじめとして私は私の絵画以外の許す時間の範囲で、その塵中記ともいふべきものを多少つづつておかうと思つてゐます。一つにはさういふものを文章でつづつておいていい年齢にもなつて来たかと思つてをります。
人物論は手許の稿の、近年に書いたものの中から小杉、鏑木両先生の分を挙げ、岸田劉生の特に日本画について誌したものを添へることとしました。
これだけに特に止めた上に別意あるわけでなく、また、風俗に関する本の中にこれを入れたについても特別の意味はあるわけではありません。
両先生と岸田についてはいはば「材料」をぼくは内から隔意なく書く事が出来ると信じてゐます。
風俗についても大体いはゆる「隔靴掻痒」でなくかいたものを集めたと思ふので、「人」についてもさうして書いたものを交へておきたかつた、ぼくの「本をこしらへる神経」が為せる業だつたらう。
突然人物論の交つたのは、小杉さんと鏑木さん――ぼくはこの両老を人に語つて「オヤヂ」と戯称することがある――にはひよんな[#「ひよんな」に傍点]書物の中に
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