位ゐは行つて、やれやれと、そこで清浄の気を吸つたやうに思ひますけれど、到底「己が土地」とは思へません。京都の如きも常住坐臥常に三十六峰を背負ふ町住居は、結局寂しさに堪へられない。
 東京には山も海もありません。品川の海の如き、あれは埋め立てではあつても「海」でも何んでもないものですが、「山」は遙かに雲際に時々モヤモヤしたものが望めるといつても、その名も、その存在も平素全然感知しないものです。
 時々省線のフォームで夕焼けの空にそのスカイラインを珍らしく眺めるのみ。富士は遠く三角に時々点景のやうに見るに過ぎません。
 それが良いのです[#「それが良いのです」に傍点]。
 それが良いので、四方八方開けつぴろげのいはゆる「空ッ風」の吹く、雨の横なぐりに降る中で却つて初めて我居得たりと落附いてゐられるものですから――それで「東京」をはなれられないのだと思ひます。
 一つの「因果」でせう。
「故郷」といふものは、互ひに誰にとつても。
 私以外の人々にとつては、又その人々のそれぞれの土地に対して私が今申したやうに思はれること、御同感を得られるところと思つてゐます。――私は前に、都会生れのものには「
前へ 次へ
全10ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング