注意しなかつたが、とに角これは明治のカナモノ細工の一つで、その末期のものとはいつても、今となれば存外そのアラベスクなぞも時代の風味のある少数の遺存物に当るだらう。
――それよりもぼくは、この洲崎のカナモノを見ると同時に、同じものでも吉原の大門の明治味感を直ぐさま思ひ出してゐた。震災の当時たれだつたか名のきこえた人が真先きにあの破片をかつぎ出した(?)とか聞いたし、近頃の消息ではまた、残片を時節がらツブシに出したとも聞いたやうだ。これは元来ちやんとアーチ形の「門」になつてゐたもので、作も却々良く、龍宮の乙姫様がアーチの弓形の真中に立つて夜空に電球を捧げてゐたのをおぼえてゐる。これは文献で見ると明治十四年の作とあるもので、
「総て鉄にして永瀬正吉氏の作に係る。両柱に左の一聯を鋳出せり。
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春夢正濃満街桜雲
秋信先通両行燈影
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是ぞ福地桜痴居士が当時豪奢の名残りと聞えし。」(明治四十一年版「吉原名所図絵」東陽堂)
洲崎のものは何れこの模倣に相違ないものである。吉原のカナモノ細工ならば、さういふ庶民美術品の一つの代表として伝はる価値のあつたもの
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