後天の収穫によると共に、一半は、さういふ天資だらう。
 ひよんなことからいきなり小杉論の中圏に筆を入れたけれども、鏑木さんがある時「人と話をするのに相手方の立場なり心持となつて話をしたり聞いたりすることはむづかしいものだ」これを心がけようと思ふといふ旨の述懐を記されてゐたことがある。小杉さんもかう思はれるや否や、ぼくの見るところでは、小杉さんはよしんばこの反対にしようと考へても、それより一足先きに、行為心操は「相手方の立場なり心持となつて」人と話をする人である。話をして来た人である。
 小杉さんは相手の強さ[#「強さ」に傍点]或は不正不当に対しては十分に靱ふ訓練を持つてゐるけれども、相手が弱く殊にそれが正当な場合には、見る見る「負ける」面白さを持つてゐる。相手が強く且正しい場合には襟を正して迎へ、若いものに対してさへその履をとることを辞さない、心を無にすることを――これは「人」に対する相対的でなくとも、予め「天」に対して――識つてゐる、間違ひの無い人物であるが、涙もろい話など持つて行けばほろりと陥落するをかしな人である。ひとに騙されたことなどもあるであらう。人を騙すことは無い人であるか
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