ら、被害は決して大きくないのである。岡倉覚三さんは、人は媚び諛らふものを避けるといふけれども、阿諛者は可愛いもんぢやないか、と、豪然嘯いたといふことだが、小杉さんにはさういつたべらぼうな危険性はない。壮年にはこの種の冒険を猟奇したことはあつたゞらう。
小杉さんは歴史を引くり返すとか、或は芸壇の屍山血河を大刀提げて乗り越えるとかいつたやうな、闘気熾んな「大家」ではないであらう。これに反して人間的、滋味豊かな、慈味を人生に学び取つた「賢人」の一人と考へる。小杉さんのやうな学道を採る人は画壇にこれから先きまづさう第二第三とは容易く現れまい。その学道――いひ替へれば小杉さんの人生を学び取るためには、これぞ「修養」といふ字でいへる、卑近にいへば「本を読む」修行が、また、絵をかくことと並んで並々ならぬ期年を要するからである。小杉さんの学問はその十中八九まで古代支那に参ずるところに基礎があると思ふ。(これに加ふるに和文。――却つてヨーロッパの脈は、殆んど少ないところに、今日から見れば特徴を帯びた。)芸文のものよりは史学に大多数の興味もあり、ゆかりも深かつた「修養」ではなかつたか。ぼくは画壇の人々に
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