でいふのがいゝが、吹聴することを甚だ好まない。かといつて、偽悪的かと見るに、さうではない。いふべきこと、例へば主張すべきことは、ちやんと通してゐながらも、心やり細いのである。――こゝに小杉さんの風格があるだらう。随分の大作が行き、また小点の行く「小杉さん」がそこにあるだらう。
小杉さんはぬけぬけした、或はズケズケした触りの微塵も無い人であるが、ふうはりした中にしまりのある、思ひやりの届く出所進退をよく弁へた、万事にキメの細かい人である。修養と意力によつてこれに適度の「断」があるであらう。
小杉さんの風貌は神経つぽいとか「弱気」とか「蒲柳の質」といふのとは異る。肩幅など頑丈な手足も骨格のしつかりした「豪放型」であるから、しつかりした豪放型からは、いはゆる「心臓」も太い、あらけづりのところが出易い?――に反して、小杉さんからはさういふものは全然期待することが出来ない。この辺のがい切な観察はつとに故人の芥川龍之介が小杉さんについての短章の人物論に、はつきりと述べたことがあつた。小杉さんは粗野とは正反対の Education Sentimentale「訓練」を身につけてゐる人である。半ばは
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