呼んでゐたのは倉田さんだつた。山本さん(鼎氏)達は小杉、小杉と呼ぶ場合が多かつた。
 小杉さんについて述べるには是非大観さんと小杉さんの関係も誌さなければ、材料の一つの大きな面を落すことになるけれども、ぼくにはこれこそ「耳食」の他には書きやうのないことゝなるので、省くことゝした。ぼくとその両先生達「院展時代」の関係は、丁度、兵卒対将校、学生対教師のいはゆる「段違ひ」となるものである。距離がありすぎてパースペクチブの間違ひをかくといけないから。大観さんはぼくの顔を見る度に必ず「田端は」田端はといふし、小杉さんはまた「茅町」とよくいふ。美術報国会の時には殆んど大観さん、つまり「会長」は、幕僚に美報理事として小杉さんを加へなければ、出馬しかねまじき具合だつた。ある時大観さん(大分酔つて)ぼくに向つて曰く「この小杉さんはね巳ですね。巳は蛇ですよ。(へんな手付きをして)ニヨロニヨロと穴から出てあつちこつちを見て、それから這ひ出す。はゝあ、これはいかん、と思ふと、這ひ出しません。」そこで大観さん独得の愛くるしい笑顔をされて、とたんにまた、ギヨロリと傍らの小杉さんに凄い一瞥をくれながら「ねえ君、この
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