人はさういふ人だよ。」
 私はその時大観さんにいつた。
「先生、私も矢張り巳なんです。一廻り下のヘビです。」
「いやァ、これはいかん。」
と大観さんは頭をかいた。
 小杉さんについては猶その文、その歌、その著述、これについても本当は述べなければならない。いつか補筆する機会があるだらう。(そして僕とは、僕の年少をも意とせず、小杉さんは年来「東京」の「粋」を僕に頒ち与へる東道の範となつてくれた方だつた。「粋」今や全然地を払うて無し、小杉さんは年中の大半を山中に隠れる「翁」となつて、互ひに敗戦日本に、配給米を食らふ貧弱と化した現在であるが、小杉さんと一緒に見た年々の月や、奇麗な、或ひは洗練された人々や、歌や、小杉さんの盃や、いろんな食ひもの、いろんな座敷の数々、どうかするとそれは水郷取手や牛久の侘びた商人宿だつたこともある……。
 ……これは僕に数限りない生きガクモンを実地教習してくれたものだつた。計らざりき、もう二度とは見られない「大日本」国の「粋」でもあつたのである。
 画道については又問ふに人有るべきも、生きガクモンについては天与の他に師は無い。僕は小杉さんに師恩の深きを負ふものである
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