十五巻、第六十六図)ひとから放庵の名で書かれて、これが印字となつた公けのやうなものゝ初めは、これであらう。
 どうして小杉さんが未醒号を廃して放庵号に移つたかといふたしかな筋のことはきゝ洩らしてゐるけれども、ある時、心おきない客同志の酒席で、小杉さんの古くからの知り合ひの人が小杉さんに訊いたことがあつた。「どうしてあなたは未醒をやめたのですか。この頃では全然未醒は使ひませんか。」小杉さんは「えゝ」と答へた。しかし「どうして」といふ問ひ方には何も答へずにゐるうちに、問ふ人は重ねて「未醒といふ号はいゝと思ひますがなァ(笑つて)、この未醒といふ字にイミがあるのが気に入らなくなつたかなァ」。小杉さんは酒盃を喞んで「いやァ」ハハハハと笑つた。問ふ人もニコニコしながら、こんどはぼくを顧みて「未醒でなく既醒、すでに醒むですかなァ。いや、未醒がいゝなァ。Kさん、どうです。醒めない方がいゝでせう……」。
 小杉さんも始終一緒になつて笑つてゐたけれども――今考へて見ると、前後に此の時だけしか、未醒を廃したことについては小杉さんとの間で、これが特別の話題に上つたことはない。
 いつか小杉さんはすらすらと未醒
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