ースがこの人の任となつたことは、自然の推移であつた。
壁画には自らこの仕事に記念塔を打建てる意気込みの、自ら仕事を買つて出た、帝大講堂のアンビシャスな仕事振りがある。(大正十四年)――この作は恐らく日本最大の壁面を絵で扱つたものだらう。作者もまた、人に仕事を見せよう、等々の発意よりも、その尨大な画面を「絵にして見よう」と思ひ立つた無垢のところに、この画因の素直な胚胎を認めて、着手したものである。
相当暑い夏にかけてのことだつた。小杉さんは水谷清を助手に使つて、帝大構内の、何か洞窟か何かのやうだつた、関係者以外には人の一人として知らぬ、ガランとした仕事場で、前後百五十日の間、毎日朝から日の暮れるまで、暑さの真盛りはシャツ一枚で、この壁画を描いてゐたものである――ぼくにもう一言余言を加へさせれば、描いて楽しんでゐたものである。
壁画はアーチ形のもので、高さ三間強、幅五間はあつたと思ふ。確実な寸尺は今手許に控へが無いが、余事ながらいひ添へれば、この大仕事は作者の奉仕だつた。作者は一意仕事をする大きな壁が欲しかつたのである。
老来小杉さんは枯淡になつた筆路に、この十年方前からは、打つて
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