びることはこの線でどこまでものびる。たしかにそれは大作画法として一つの必要なスタイルに相異ないと思ふけれども(求心的に絵の素描は立てず、遠心的に装飾で効果を大手にまとめて行くこと)、たゞくゝりが無い。扇子に例へれば、いゝ骨だし展きも見事なものだが、要の弛いために、がくがくするやうなもの、骨格の弱体を蔽へない仕事振りだつた。――やがてこれも亦「放庵」には反省され、是正された。
 前に「登龍」とヘンな言葉を使つた小杉さんの行路は、文展三等賞の「杣」につゞく「水郷」(第五回文展、明治四十四年)と「豆の秋」(第六回文展、大正元年)が相次ぐ二等賞となり、水郷について楽之軒云、「この作によつて一躍新進作家の首班に列し、翌年「豆の秋」を出すに至つて画壇における位置は確立した」と、この文章は、この通り肯つて良い、作家「小杉未醒」の壮年の行程だつたのである。
 小杉さんの行路は院展洋画部創立(大正三年)の頃から、年益々、幅の広いものとなるのだつたが、仕事はいよいよ油絵のアブラくさゝを遠ざかつて、素材そのものも、日本画法によるところが多くなつてきた。洋画風の道としては、イーゼル・ピクチュアよりも壁画風なコ
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