「美感」からといひ直してもいゝが、何故なら、この絵の作者未醒は必ずしもダプレ・ナテュールの人ではないのであるから。
 柏亭氏が「其人物等の外廓線にはある癖があり……」といふ。この「癖」と名指すものは、小杉さんが楽にかく時にはそれの出てくるものであり、しかしこれがあるために、一方大手の仕事が行くし、それが装飾的象徴的効果にのびる、この作者の得手に働いたこと、少なくない。しかし若しこれが撓められずにゐたとすれば、「画人小杉」はこの線のために自繩自縛にかゝつたかも知れない、安易道のものである。――作者の求道心は、この仕事の叢にすむ蛇ともいふべきものを、時と共に、善処始末した。
 死んだ外狩素心庵は小杉さんが水墨の仕事に麻紙を愛用するについて、一方その効果を認めながらも、一方その欠点を衝き、一頃小杉さんがよく破墨を麻紙のザラ目の紙面(つまりそこに抄き込まれた麻の繊維)につゝかけて、絵の「味」を出す手法を採つたことがある。このやり方は、見た目の「味」のために肝腎の「素描」を殺すことだといつて、惜しんだことがあつた。――後の放庵には、このことは無いのである。
 また院展に出た「鵜飼」のやり口は、の
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