―一体小杉さんの画歴は、終始「線」の歴史だと見てよいと思ふが、小杉さんの初めの仕事にある線は、その絵の構図本位に(あるひはいふ、装飾意図のために)引かれてゐるものは多くとも、対象の諸相に対して(写実と非写実を問はず)直かに引かれた線は少なかつた。線が締めくくる急所を避けて、たるみ、遊ぶものがある。初期、「未醒」時代の草画、漫画の画式はさう出来てゐたやうである。
石井柏亭氏はその著「日本絵画三代志」の中で小杉さんを叙する件りに、「『降魔』などから見ると第四回文展の『杣』や、その翌年の『水郷』などは大分垢ぬけた処を示してゐた。けれども其人物等の外廓線にはある癖があり、大正元年の『豆の秋』になると何かコマ絵を拡大したやうな感じが勝つてゐた。……」といつてゐるけれども、「豆の秋」には石井さんの慊らないところに同時にこの当時の小杉さんの特技も同生することを見逃せないと思ふのは、「構図」(装飾意図)の成功である。「水郷」の線には初期未醒の線は余程清算されあるひは浄化されて、「たるみ」「遊び」あるひは低徊がない。まつたうに画象を通じて自然から引かれた線になつてゐる。――「この自然」からといふ個処は
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