。――学而時習之不亦説乎の「習」といふ字は、鳥の雛が巣立たうとして下に玉子の殻(白字)を踏まへながら、不断に空へと羽ばたき羽ばたく象ちだといふけれども、小杉さんは、五百城先生の巣から羽ばたきとんで、先づ草画家の風を得、その未醒時代には、また如何に羽ばたいて、草画家の殻を脱けようとしたらう、更に放庵に代つて、またまた如何に羽ばたいて未醒を脱却したらう。これ「小杉さん」という求道飽くこと無き人の、有り態の姿だつたのである。
 小杉さんは先づさしゑ、漫画の大であつて次に華々しい画壇の雄であつて、「大家」で、やがて「元老」で「会員」で……あるが、それは泡沫の事々である。たゞ大切なのは、小杉さんが末始終美術の中の人だつたといふことで、されば「未醒」から「放庵」への不可能に近い再蝉脱も血気壮んな壮年期の旋風の中でその風に浮かずに、見事やり遂げた。――今や平安来る。「放庵」は小杉さんの第三時期、やがてその軌道を以つて小杉さんは「晩年」に移行するのであるが、この道に至つて、行けども行けども窮まらないだらう。
 されば何が目に見えて未醒から放庵へ「変つた」点かといへば、明らかなのは「線」の変化である。―
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