注意すべく、特に指摘すべき、こゝに、「画人小杉」の上の新しい出来事、これぞ「彼」が「放庵」へ変つた、最大の意義があるのは――筆路にリアリズムの再誕生したことである。
これは「画人小杉」の歴史の上での奇蹟と呼ぶも差支へないであらう。ぼくの考へでは、この奇蹟は、小杉さんが相次ぐ三越で催した毎年の小さからぬ個展のきつかけから、花鳥ものを始めたことがある。その場合が機縁だつたと思ふのである。そしてこれを始めるや小杉さんは――院展における未醒時代の大作油絵のやうに、効果を大幅ではあるが深さは浅く、画面へ浚ふ。――この行り方を採らずに材料の中心を目ざして、筆を立てゝ、真直ぐ食ひ下がることをやり出した。横に塗らずに竪にかくことをやり出した。
洋画法ではこれをやらうとしても「苦手」でやりにくかつたこと、ヨーロッパでは一旦その人の「意誠」を以つて見捨てたこと、リアリズムを、これと四つに組む捲土重来の姿勢で日本画家「放庵」は――ぼくをして敢ていはしめよ。彼はこゝにその志望を達したのである。
写実が絵の仕事の窮極だといふ意味ではない。「絵」はそれとは又別であるが、画人小杉に写実の花咲いた目出度さをいふ
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