変つた緻密な「写実手法」を十分楽しみながら、年益々「日本画法」の堂に参じつゝ、今に及んでゐる。そして最近年は(現在はといつても良いだらう)、ぼくに与へた最近信にいふ。
「……安土※[#「てへん+總のつくり」、第3水準1−84−90]見寺のフスマの絵は扇面に信長の幕下の諸将をおきたく思ふ。御手元にあの頃の大紋姿甲冑姿の参考あらんと思ふ。お貸し下されずや。此前戦災にて借用参考書焼きたり。千万すまぬ次第なり。コンドは焼きません。十、十九(昭和二十一年)、放迂」。(小杉さんは手紙の署名にいろんなことを書いて来る。昔は半禿、近頃では禿、放禿、迂禿、放迂、山翁……等)しきりとこの節は人物画に心動くやうである。この小杉さんの老境は、多分これが一番面白い作家の境地の一となりつゝ、また更に渋く、枯れて、為ることが心の円輪へと沈潜してゆく順路だと考へる。――先生の静かなる老境に幸あれ。
 放庵はそんな具合に事業を辿つて来た人であるが、こゝにぼく後生の断想を一顧すれば、小杉放庵は必ずしもその生活行路(生活内容)の一本勝負を「絵画」ばかりとまともに切先きつけて来た剣士ではなかつたといふことである。寧ろ絵画を便
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