した。その他「月番」であるとか昔の「家主」といつたやうの感じ。旧芝居の二番目ものでさういつた役々を見ると、今でもすぐ脳裡に浮ぶのはこの吉村さんの面影です。渡世は印版屋だつたと思ふ。鰹は半分貰つて行く、その「悪」は無かつたけれども。
この印版屋をぼくはインバイヤといつて、家のものにひどく怒られたことがあります。
吉村さんの隣りが絵草紙屋の加賀吉。それから玉屋眼鏡店。蝋燭屋。玉ころがし。金箔屋の岩田。べつこう屋の伊勢七。両国餅の佐久間。松本。ランプ屋。葉茶屋の池田。天ぷら屋の柳橋亭。せんべ屋の紀文。これで吉川町が両国寄りの角にぶつかります。
勿論以上は片々たる記事文に過ぎませんが、危ない記憶や当推量は少しも交へず、大正十三年に元同じ両国辺りに住んだ上原長柏と西野治平、高見沢遠治及びぼく。これだけ寄つて、吉川町、元柳町、横山町、馬喰町……此の界隈一帯にわたる、相当精密な地図を作り、これが僕の家に保管されてゐるのです。
――それに依つて、ほんの一部分の、吉川町区分だけをこゝに記した文献であります。
ぼくは明治二十六年八月二十一日に生れました。中川一政、山口蓬春諸君と同年です。政治
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