の橋はその位置が少し北寄りにずれてゐます。――それで旧両国広小路の軒並みは、角店《かどみせ》のぼくの家から鍵なりに、通りを煙草屋、玩具屋、そば屋の長寿庵、足袋商の海老屋……と順になつてゐます。そこまでが吉川町一番地になつてゐたわけです。
 ぼくの家の正面と煙草屋の側面との間には互ひの建築上の関係で空間が出来るわけでしたが、そこを体裁よく埋める為めに大きな一枚板の広告掲示板がとり付けられて、――これは井上安治の真景にはありませんから、後になつて取り付けたものでせう――これに、団十郎の弁慶が巻物一巻をひろげてすつくと立つてゐる図の、煙草のオールドのペンキ絵が一杯にかいてありました。
 このオールドのかんばんを日夕親しく記憶してゐます。――そしてこの大かんばんの下に木の駒よせがあつて、柳が植わり、この柳蔭に、いつも供待ちの人力が十台近く並んでゐたものです。車夫が赤に黒筋の二本はひつた毛布をからだに巻いて、冬の空つ風の吹く日など、自分々々の車の蹴込みにうずくまつてゐる光景を、これもまざまざと記憶します。
 ぼくの家とその車夫のたまりとのしやあひ[#「しやあひ」に傍点]には何か凹字形のくぼみがあ
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