吉川町一番地といふところで生れましたが、その後はこの吉川町一番地は両国界隈の何処にあつたものか、今の両国へ行つては、かいもく見当が附きにくゝなりました。僕の家は「第八いろは」といつた牛肉店で、吉川町一番地の一角を占めてゐたのです。二階の窓ガラスに五色の色ガラスをはめて、その家の有様が、明治十何年(欠字)御届とある井上安治の板画「両国橋及浅草橋真図」といふのを見ると、ほとんどぼくの記憶通りの状態に写されてゐますから、相当古くからこの一角にあつた家でせう。オヤヂがいつ時分この家を買つていろはにしたかは知りません。ぼくの兄貴は四つ年上ですが神田で生れたので、その神田橋にあつた家といふのから焼出されて、一家中、両国第八の店へ移つたのです。この家へ移るとすぐにぼくが生れたさうです。
 それで極めて幼少の頃、明治三十年見当の両国界隈の様子は、知る由もありませんが、ぼくのものごゝろが付いてからは、吉川町の一角、ぼくの家の軒隣りに、そこから家並みが東へ両国橋の方へ折れ込んで両国広小路の列びとなり――といつても、これも現在の両国広小路(電車通り)とは違ひます。一体両国橋そのものが昔の木橋から見ると、現在
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