は人体室のチヤキチヤキでした。)
またたつた一度受けた黒田さんのぼくの石膏デッサンの批評は、「君は調子はいゝが、形ちが悪いね。色盲でなしに形盲だね」といふのでした。
ぼくは研究所で、右の通り足はふらふらの頭大漢でしたから、一番気に入らなかつたのは図書室の荒廃です。印象派についての参考書が一つもなく、壁にいつも横つちよになつてカラッチの天使などのかゝつてゐるのが何となくイヤでした。そんなわけでモークレールの受売りに早くもアカデミー嫌ひでしたが、そのくせ美校は、家の手前、二度受験しました。そして二度共首尾よく落第しました。
一度の時は鋳金から洋画へ変つた小糸源太郎君と同期、二度目には、清水良雄君と同期だつたと思ひます。石橋武助などは美校へ受かつたのでその後葵橋では逢ひません。そして二度目の落第の時には、既にぼくはその頃研究所先輩側の岸田劉生と相識り、意気相投じてゐましたから、岸田はぼくがまた美校を落ちたと聞くと、家の方はそれでいけなくなるかも知れないが将来の為めにはあすこへ行かない方が本当だ、と手紙に書いてくれました。何でも二人でそんな話をし合つたのは、岸田が初めて小川町の琅※[#「
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