者ごつこをしたことですが、ぼくが先生で、一人々々をきやつきやといひながら、シンサツするのです。これは明らかに鴎外先生のヰタ・セクスアリスにでて来る世界と同じことでした。
 おせんちやんなどは――おないどしでしたが――ぼくが十八になつて吉川町の家から浅草東仲町の店へ移動した頃には、シンサツどころではない、土地の立派なもの[#「もの」に傍点]になつて、よく遠眼にお湯の帰りなどの襟足をくつきりと抜いた、左右につげのびん出しをぴんと張つた颯爽とした姐さん振りを、見かけたものでした。
 ぼくは二十一で生家を出た当座、小遣取りに、そんなことを小説にかいて万朝報の懸賞に当つたことがありましたが、小山内さんが見て、あれは荘八君ぢやないかと思つたよといひました。小山内さんなどといふ人は、あゝいつた懸賞小説なども目を通して居られたものと見えます。
 ぼくの家の横手がずつと元柳町「芸妓じんみち」です。ぼくの中の間の窓は赤い煉瓦作りで、この通りに向つて開いてゐる。吉田白嶺さんの奥さんが、若い頃に、よくお稽古の帰りなどにその「木村さんの窓を覗きましたヨ」といふ話でした。
 窓の下は相当幅の広いドブ板になつてゐて
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