るといふことは珍らしい[#「珍らしい」に傍点]例なることを段々と再認識します。咄哉州はあにさん[#「あにさん」に傍点]の金チヤンと共に小さいころから器用で、よく浅草公園の花屋敷にあつたダークのあやつりの水族館をボール箱の中に作つて遊びました。ぼくも幼少の頃から絵ずきで、友達との遊びといへば何彼につけ絵に関係のあることばかりでした。極く小さい時分に、毎日のやうに茄子や胡瓜、かぼちやなどが、黒門のところで鎧兜で戦ふ絵を描いたのをおぼえてゐますが、これは恐らく芳藤のおもちや絵、絵草紙から学んだものだつたらうと後に回想されます。
その絵を僕にいつも手をとつて教へたのが、鈴木金太郎といふ叔父でしたが、これがすでにその頃都下に稀の「江戸児」といふべく、膝栗毛の喜多八又は落語に出る与太郎出だちの、イキな人で、又、ケムのやうな人でした。近年この叔父は七十の天寿を完うして私方で亡くなりましたが、晩年はボケて、どう聞いても、彼之れ五十年前に僕に教へた八百屋もの戦争の絵は、忘れてゐて、かいてくれませんでした。幼少の頃からぼくは文弱に流れてゐたやうです。両国ですから、回向院の角力場に程近く、これで弱つたのは
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