「本町二丁目の糸屋の娘」なんといふ端歌を教へたものです。母も祖母も眉毛の無い、お歯ぐろを付けた細面ての、「イキ」といふ身なり形ちの女達でした。――そんな空気の中で育ちました。
 だからこれはエドツコが出来上るわけでした。あるひはまた、これも家が始終忙しい為めにコドモは邪魔であるから、毎晩のやうに、義太夫席の新柳亭であるとかまたは色ものの立花家へ付人をつけて寄席にやられてゐました。それが段々とこつちが長ずると、チビのころからの下地ですから、今度は自分で芝居見物に出かけます。中学校の頃には、これも三年迄はマジメにやりましたが四年の色気附くころからはぐれて、学校へはほとんど行かずに、東京各座の立見々々に憂身をやつしたものです。ぼくが年のわりにわれながら芸壇の消息を随分古いことまで知つてゐるのは、これ等のガクモンから来ます。――いふまでもなく、それで童貞でゐるわけはありません。十七だつた年の暮からぼくは男でしたからその頃、中学の同窓がニキビを吹出してあらぬ話をし合ふのがくすぐつたいものでした。
 中学校では清水良雄君がぼくの一級上、それが市川猿之助のゐた組で、小学校ではまた僕は田中咄哉州と同級
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