三歳の時(明治三十九年)突然病の悪化で倒れたのです。
 ぼくはこのオヤヂさんに、殆んど一度も抱かれたことも無ければ、一緒に何処かへ連れて行かれたおぼえもなし、ろくにものを買つて貰つた記憶も有りません。たゞ何となく常にフロック・コートを着た重々しいオヤヂでしたが、別段それ以上の存在とも思はれず、オヤヂは当時東京市内各区に牛肉店いろはの支店を設置するに当つて、その主立つた店々に、管理人の名実を以つて、婦人を置きました。これを「御新《ごしん》さん」といつた。その一人がぼくの生母です。ぼくはこの木村家(いろは)の第八番目に出生した男子といふわけで荘八の名をつけられ、父は荘平といひました。が、ぼくの生れた店はまた丁度第八番目のいろはで、両国吉川町の角にあつたものです。当時東京市内各区のいろは牛肉店は二十軒以上盛業してゐたと思ひます。いろは四十八軒まで作らうとした気だつたかも知れません。上野のがん鍋も買はうとしてこれは実現しなかつたことなどおぼえてゐます。オヤジはそのいろはの主立つたところ、例へば芝三田の第十九いろはであるとか、深川の第七であるとか、万世橋の第六であるとか、ぼくの第八……それぞれを
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