らしい様子です。今でもぼくの家には、その母方から譲り受けた土蔵の錠前だとか、小判の金質をためす為めの道具だとか、はかり、巾着類、財布、小袖、櫛。そんなものが保存されてゐます。
 しかるにオヤヂの方は、何処からいつどう東へ出て来たのか、ぼくなんかは少しも知りません。何でも国元に妻女があつたのを分れて出て来た、然し後にこれを再び東京へ呼んだとかいふ話で、その妻女――つまりぼくの矢張りおつかさんです――これにあつた最初の子供が、栄子といつて、後に紅葉山人の頃に小説を書いた木村曙でした。父方の「風流」の血がこゝからはじまる。曙女史の「母」方の系統については、殆んどよく知りません。(そして申すまでもないが、僕は木村曙とは、母違ひの姉弟であります。)
 何しろオヤヂは裸一貫で東京へ出て来ると、その頃が、所謂文明開化の大都会であります。早速いろんなことをやつたやうです。あるひは芝浦に競馬場を作るとか、牛馬屠殺場を設けるとか、従つて牛肉店を作るとか、町屋に火葬場を創るとか、羽田に穴守稲荷を作るとか、品川に鉱泉を掘り当てるとか、……暫らく市会議員をやつて、それから衆議院へ出るとかの用意最中に、ぼくの満十
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