つの妙な本当だつたか……兎に角そんな一つの見当だつたかも知れない。万はフューザン会の同僚です。フューザン会の同僚では今小林徳三郎が春陽会で同じ釜の飯を食つてゐる唯一となりました。
――それにつけても「ぼく」木村といふものはわれながらヘンなもので、ぼくのオヤヂといふのが、一体西の宇治から出て来た――それだから、ぼくは人にいはれるやうにはエドツコでも何でもない、マガヒモノなんです――一介の素漢貧で、何でも上林といふものから出て、これが向うの長年打続いた茶道風流の家柄だといふことですが、僕はよく知りません。(少くも後年このことを知る[#「知る」に傍点]のは、オヤヂのコドモ共に、間接遺伝?で、その「風流」の血が誰にも彼にも蘇つた現実です。)
ぼくのエドツコなるいはれはそんなわけで、父方関西については少しも知らないけれども、ぼくの母方が、これはまた、江戸・東京以外は全然何のゆかりも知識も無いベランメーでした。半分そこから受継いでゐるものでせう。母方は鈴木といつて、昔山形に小の字を書いた※[#「仝」の「工」に代えて「小」、屋号を示す記号、260−16]商標の、御蔵前の金座に関係のあつたあきんど
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