しになつたことはあらうけれど。
 ○くるわの各門には外界に対して石だたみの小橋がある。しかし、この門は平常閉まつてゐたのである。
 ハネバシは一つの戸板だと思へばいゝと言ふことです。昔は廓外地域は現在よりもなほ一層低かつたので、この低きに高かつたところからハネバシを渡す便を計つて、向う岸の溝川のふちに、俎板の如き橋受けがあつたといふことです、これに対して、真向うの家なり路次なりからハネバシをわたしてくる、それには橋の先端にツナが付けてあつて、ハシを渡さんとする時これを持つて向う岸へ板をストンと渡す操作をする。
 この個所のトリツキは、古老も、さあ、と言つて首をかしげてゐたが、たゞ立てかけてあるのもあつたやうだ、と言つてゐました。恐らく適宜カンガイ止め等もありしことでせう。
 そして、用なき時にはツナにて引上げておく。だから廓外からは勝手に渡れぬわけです。されば少年時ぼくが見なれた△個所のハネバシは、両岸地形の差少なれば(それにドブも狭いから)手で持ち上げる式のフタに過ぎなかつたものでせう。
 ドブフタの上で見得を切る手もあるまい、しかし大兄、ハネバシの上でチヨンなんてのは、元々余りいゝ手でありません。
 以上を以つて大体よろしく万々御想像あつて御作り上げの程念じます。
 またこのガクモンは不日重ねて聞き込みでもあつたら又再報します、矢来先生には貴辺よりくれぐれもよろしく御鶴声の程。実際こんなことも、今の中にベンキヨウしとかないと、なくなりますからネ。
  十四年十一月十七日
[#地から3字上げ]木生
[#地から1字上げ](昭和二十三年十月補修)
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 これは山川君がある舞踊の舞台装置について最後のしぐさがハネバシの上できまつて幕になるといふ一場を扱ふにつき、ハネバシのことを鏑木さんに聞いたところが、鏑木さん(矢来先生)から、それは木村の方が知つてゐるだらうといふので、ぼくへ廻つて来た問題の――解答である。右の文章絵画のまゝ急ぎ山川君あての手紙に認めたのを、こゝに採録するものです。この由来がわからないと諒解しにくい節々が文中にあるので、添記します。
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底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎
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