土地に深い(おとり様の境内に父祖数代住んでゐる)谷古さんといふ人からいつぞやきいた処では、この溝川(即ちはねバシかゝる処)が昔は幅九尺もあつた、それで、廓内から一たん水中へさんばしやうのものを出しつゝその先へハネバシ(板)をかけて、向うへとゞかせたもので、岸はシガラミだつたとのこと。
 遠見はタンボ。却々風情のあつたものだといふことです。
 図のやうなものでせう。(第二図)
[#「第二図」のキャプション付きの図(fig47735_02.png)入る]
 ところが、星移り月変るうちにですな、廓が段々段々とこの溝川を侵蝕して膨脹し、流れを狭くしたといふのです。今日土地のとしよりに聞いたところでは、a―b―c約一間ぐらゐの流れだつたとのことです。
 この通りに小態な額縁屋があつたので、そこの老人に聞きました。六十以上と見える人。わざわざ額縁を一つ買つたから、モトデがかゝつてゐるわけ也。打見たる処この界隈の家々の背は、家と家のしや合ひの木戸から段々にて今でもまるで川へ下るが如き仕組にしてあるものもあれば、(恐らくこれは昔のまゝの仕組ならん)、勝手口とおぼしきガラス戸へ往来のコンクリートからハシゴのかけてあるのもある。之等はハシゴのこつちにはねバシがあれば――往来のコンクリートは元々そこが流れであるから――一葉の文の「とんと沙汰して、廻り遠やこゝからあげまする」をそのまま思はせるものである。
 要するに問題は、廓内の地盤が高い、そこから廓外の低きに向つてハネバシを操作するといふ点が、肝要となります。スケッチはすべてb―cの、ドブの幅一間位ありしといふところにて写しました。
[#「第三図」のキャプション付きの図(fig47735_03.png)入る]
 こゝに寛永年間の新吉原図あり、略示するに、周囲の黒線が下水です、原図もこのくらゐの割にして太く描いてあるが、いかさまこれが内部から外へ外へと※[#「┼」の上下左右に外向きに矢印の頭を付けた記号、144−16]発展した感じはわかる。そして廓内の家が下水へぴつたり接近した時に、ハネバシを生じた筈、その上猶川幅を縮小して行つて、現在に及ぶ歴史でせう。
 ○ハネバシは昼間は大体あがつてゐた。
 ○ハネバシは廓内から廓外への捷路の専用門であつて、廓外から廓内への用には必ずしも用ゐられぬ。廓内からそれを渡して外へ用事に出た時など、かけつぱな
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