、存外またこんなことが「生きた評伝」には匂ひとなるものだらうから。
 この天下茶屋の瓢々亭といふ家は今も在るさうである。ぼくはその家は知らないのだが、岸田といふ男は一体相許した相手に対して常に人なつこい、寂しがりといへる、童心満々の男で、晩年は殊にさういふ瓢々亭といつたやうな飲み屋で小会することを好んだ。そして興が乗ると、即席の五題話など始めるかまたはいたづら描きを始めるのである。始めたが最後、徹底するまで筆をやめない。恐らく今何万円とかいはれてゐるといふ某家の屏風なども、酔余、一気に描かれたタダの作品だらう。「化けものづくし」も亦あとからあとから興が乗つて、にこにこ笑ひ通しながら、片つぱしからこの奇画を描き上げたものと思ふ。――ぼくはこのモティフについて岸田ならでは求められぬ岸田その人から出た「独創」のあることを指摘したいのだ。尤もこの作は所詮戯画であるから意味は小さいにしても、質として全く同じこの独創味が、岸田といふものをあの美術人に仕立て上げた、根源は同じものが、こゝによく出てゐると思ふのである。
 そしてそれは岸田の経過した文化的教養といつてもいゝものかも知れないと思ふ――切れ
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