故人もこれは破顔してゐたエピソードであるが、岸田は殆んど例外なくその作品の上に文字を題して、少々怪しい漢文なども誌し入れる好みがあつた。犬養毅氏が一度これについて、岸田君の画もいゝが、文字が題してないといゝといつた話が伝はつたことがあつた。とに角岸田は一度も題賛文字の為に特に心を砕いた経験といつては無かつたといつて、間違ひでないだらう。――ぼくはこれ等の意味で、岸田を文人画家の範ちうには考へない。
 どこまでも岸田は画人岸田劉生である。屡々工人でもあつた画人岸田劉生である。このことは故人も抱懐してゐた、さういふ一つの見識でさへあつたから、ぼくが今からいつたからとて、故人を貶するものにはならない。
 岸田はいつ頃からその「日本画」を始めたであらう。
 それはさうと、ぼくは恐らく岸田の日本画を一番沢山に見るだらうと思ふけれども、最近に見たのは、気まゝに切つた形の、紙本の、九画連作のもので、乙丑九月三日仲秋明月の夜於天下茶屋瓢々亭劉生酔筆と題する「ばけものづくし」であつた。
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料理のない時出る化けもの
窓からのぞく化けもの
ことづての化けもの
おほだんの化けもの

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