筆の貫禄を備へてゐる。しかも前後十年とはかゝらぬ間のあれだけの仕事である。ぼくは前記の前がきの沈南蘋風な猫を見た前には、また岸田が晩年の酒席で一気呵成に描いたに相違ない六枚連作の大津絵を見たけれど――それが屏風に仕立てられてゐた――これ等は筆興の凜々たる良い作品だつた。
それと一番近頃見た「化けものづくし」のこれも酔筆がなかなか良いものである。若し批評風にいふことを許して貰ふとすれば、却つて筆路をつゝしんで描いた唐画風の静物などには、少々気魄の小づんだ、固い仕事があると思ふ。半折の上から下へと果物を一気に描下ろしたものだとか、児童喜戯の独特なモティフを自在に扱つた小点もの、あるひは興のまにまに描いたと思はれる色紙などには、渾然として美しいものがある。筆路を慎重に運んだ唐画風のモティフの猫などにも、その良く行つた作には、明清の仕事ではとても及ばぬ、古格を湛へた善品が少くない。概して岸田は材料には凝らなかつた。凝る迄にはまだ画式を整備しない間に早くも逝つたとしてもよいのかも知れないが、かなりそこに有りあはせの紙に画き、絵具などさう喧しくは選まなかつた跡がある。――岩絵具に手を染めなかつたことは前にいつた。色墨も使つてゐない――墨はぼくの知る限り、却つてぼくや中川一政などが小杉放庵老の東道で硯墨に凝り始めた頃よりも岸田は遅く入つて、たしか硯の善品には出逢はぬ間に逝つて了つたと思ふ。墨は色絵人物の刻されてゐる丸い明墨を手に入れてから匂ひが高くなつたが、存外これは京都から鎌倉へ移つた、最晩年のことだつたかも知れない。(その後この墨の行方は知らないが、石井鶴三が割合に近く、これと同質の明墨を珍しく手に入れた)――後記。
余事ながら、近頃岸田劉生の偽物の多いには、弱つたものである。ぼくなんかはどうかすると此節、月に十幅は欠かさず岸田を見るだらう。ところが十の中の七迄は偽である――殊に油絵に至つては。油絵こそはさうさうフラフラした真品があらう筈もないのだから。
――最も滑稽なのはまさか偽作者がかう迄ぼくのところへ一手に岸田が集まらうとも思はなかつたので、それでしたことだらうが、何れを見ても必ず署名が 1916 April R・Kishida だ。枯草の絵でも雪降りの絵でも、されば一九一六年四月署名の岸田の油絵は、先づ当分眉唾と考へていゝやうである。
又日本画は何処で誰に製
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