れば、その頃おい、世相あまねき欧化の一つ一つの事項のいずれも看過できないこと、申すまでもなく、福沢諭吉先生は、明治早々にしてすでに国音の「ウ」へいきなり濁点を打って、「ヴ」とよませる、文字通り弘法大師以来の新字をこしらえて、外音の「V」を写すことに成功した。等々。
 一々こういうことがすべて「響き」を持つこととなる。
 ハイカラ風俗のそこから下って来た山の高嶺――欧化の絶頂――が「鹿鳴館」にあることは衆知のところだが、そこに有名な仮装舞踏会のあったのが明治二十年四月で、それから二年経つと、明治二十二年二月十一日を期して憲法が発布された。
 その朝のことだった。雪が降っていたが――この雪はやがて晴れて、道は冷たく、数万の人出に、往来は夜になると至るところコチコチに踏みかためられたという――文部大臣の森有礼がまだ降りやまない雪の中を、参賀に出ようとすると、あっ[#「あっ」に傍点]という間に刺客の手にかかって、やられてしまった。
 森は欧化論の急進であったが、かねがねそれから来る言動が刺客を招くことになったので、とうに明治八年の古きに、斬新無類の結婚式をやってのけて、世人の意表に出ている人。
前へ 次へ
全18ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング