わらず、むしろその人態[#「人態」に傍点](形而上)をもって、老伊井の演じた「阿久津」は至芸となり、二筋道はあたって、その頃ぺちゃぺちゃだった新派はこれによって盛り返した。
「美人」と「人」全体にかけて一般に云っても、その中に「男」は含まれないが、逆に男子は、年とって、醜くくなってから、かえって「美人」となり得る。――こう云ったら綺語に陥ちるだろうか。大きにそれは「男」の「曳かれものの小唄」と一蹴されれば、それまでのこと。
 幕政の頃――それは明治も初年時代まではつづいた――今から概括して「イキ」と名づけるのが便宜の美感の方法があって、男女共にこのイキの坩堝の中から、「美人」が生れ、或いは「美男」のでき上ったことがあった。又ひところ、「イキで、こうとで、ひとがら」と云われた「いいおとこ」「いいおんな」に関する明治の合言葉があったけれども、この「こうと」は「高等」で、こんなところに高等[#「高等」に傍点]と当時はやりの「漢語」を持ち出したところに、「年代」を見るべく、この「こうと」には同時にまた「コート」にかかったかけ言葉の意味があった。
 明治初年には、その頃ぼつぼつ「洋物」が売れた、と云っても、一番よく出たものは、服装の上ッ張りに着られる廻し合羽、やがてトンビと云われたもの、あれだったそうで、両羽も上背丈《うわぜい》も短かかった。主として英国式裁断のインバネスである。――これから改良変形されて、内国製和服用のコートが出て来たが、明治も中頃の三十年代へかかると、女ものの外出着に総ラシャ、緋裏のいわゆる「東《あずま》コート」は、なくてならない、全盛のものとなった。

 その前後のことである、「イキで、こうとで、ひとがら」と美男美女をそやす[#「そやす」に傍点]合言葉の行われたのは。
 ひとがらの「がら」にコートの「がら合い」がかかっていたことも、万事イキ[#「イキ」に傍点]な連中の云い出しそうな、そつのない言葉と見るべきである。
 この東コートを羽織ったなり[#「なり」に傍点]に、着ものの衣紋をぐっとぬいて、大一番の丸髷を大々と結び上げた女姿が、「イキ」と呼ばれるにいたり、旧美感のイキ、或いは粋、或いは「江戸前」と云われたものはすたれ、しかしすたれたと云っても、「美感」そのものがすたったわけではなく、むしろそれ[#「それ」に傍点]はより活溌な[#「活溌な」に傍点]新し
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