それは結婚式と云おうより結婚宣誓式ともいうべきもので、「紀元二千五百三十五年二月六日、即今東京府知事職ニ在ル大久保一翁ノ面前ニ於テ」という誓文の書出しで、別に「証人」として福沢諭吉を立て、当日は自宅の門前に「俗ニ西洋飾リノ門松ト詠フル如ク緑葉ヲ以テ柱ヲ飾リ」、つまりアーチをこしらえて、国旗を立て、提灯を列ね、「……今晩ノいるみねえしよんノ支度ト見エタリ」
 ここに引用している「」の中の文章は、明治八年二月七日の日日新聞の記事であるが、明治八年にして新聞紙上にイルミネーションと綴らせたのも桁外れならば、いわんやそれを「自宅」に点じたに至って、――ハイカラの張本人ここにありと云わなければならない。
 面白いのはこの日の「月下氷人」格の府知事大久保一翁で、この人はかねて大の刀剣通の、その蒐集する刀の蔵い場に頭を悩めたあげく、束にして四斗樽に刀身を何本も差して、そのぎっしり日本刀のささった樽が、又、橡の下に家中一杯だったという人である。「ハイカラ」とは一応対蹠的な、江戸藩の名士である。――その古武士然たる人が、スコッチの猟銃服いかめしく身をかためて、森の結婚宣誓式へ乗り込み、中央に座を構えた。
 その時の模様を新聞は云う、「……此ノ盛式ハ東京知事ノ面前ニテ行フト有ル故ニ、大久保公ハ何処ニ御座ルカト見レドモ我輩ハ其顔ヲ知ラネバ何分ニモ見当ラズ、唯怪シムベキハ此正座ニ髭ガ生エタ猟師ヲ見タルノミ。」いずれも礼服揃いの満座の中にこの髭翁だけが「短カキ胴〆ノ附タル服ヲ着シ」とあって「早ク申サバ日本の股引半天ノ拵ヘユヱ、連座ノ西洋人ハ勿論、日本人モ扨々失礼ヲ知ラヌぢぢい哉ト横目ニテじろりと睨メタリ。」ところがそれが知事様だと隣席のものに教えられて「我輩ガ考ヘニハ此失敬老人ガヨモヤ大久保公デハ有ルマイ。」公はやはり今席にはいないのであろう。もし万一にもこの猟服の髭翁が公なりとすれば、公は公儀お目附大目附の役も勤めた人であるから、これには余程の深い所存あっての服装だろう、――と大いにヒヤかしてある。
 思うに一翁は「洋服」ならば洋風儀式には何でもよかろうというわけで、半ズボンか何かで乗り込んだものだったろうが、一方、この翁・刀剣翁をして、出鱈目であろうと何であろうとも「洋装」させたものが、また時勢[#「時勢」に傍点]であったろう。
 さきに誌したように、横浜から「洋物」は来るとは云っても、
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