にごりえの発表、明治二十八年九月)代の本郷丸山福山町あたりの娼家装飾――その五色ガラス――は、これ又、基づくところ開港地のチヤブ屋から来てゐること明らかだと思ふ。
[#「浅草橋」のキャプション付きの図(fig47594_02.png)入る]
一葉の娼家には「軒に御神燈さげて盛り塩景気よく、空壜か知らず、銘酒あまた棚の上にならべ」とある。
当時市内の「新しい商売家」であつた娼家とか、今云ふ「大衆食堂」風な牛屋などが、その辺からその店構への標識なり装飾として「異人館」めかした五色ガラスの障子をその店頭の見つきにあしらつたことは、極く自然な思ひ付きだつたと類推される。伝統ともいふか、これの連綿として尽きないのは、昨年の末に、戦災地へ近ごろ新しく娼家の家も建揃つた玉の井へ行つて見たところ、その家々「ガラス戸」の扱ひ工合に、この「五色ガラス」の旧智が採用してあるのを見た。そしてこれは吉原にも今現にある。しかし都内目貫きのところには[#「都内目貫きのところには」に傍点]今では何商売を問はず、この「装飾」は見かけないやうである。――半世紀以前には斬新奇抜だつた風《モード》も、今では古く、ヰナカ臭いのである。
ぼくはぼくの家の「装飾」――それがそのころ市内の一種のメイブツだつたと云はれる――をそんな風に考へてゐる。
いろはにはその屋内装飾――つまり客間用に――その壁面へ持つていつて数多くの大きな鏡をはめ込むと共に、柱々には、一々細長い、ゴツゴツ紫檀わくのついた、小形のいはゆる「姿見《すがたみ》」を懸け連ねてあつた。これは室内を賑々しく、明るくしたものである。そしてそのキラキラする室内の居なりへ、採光のガラス戸からはそれぞれ五色の色の反映しかゝる(従つて客はその五彩の中に坐る)「明治」の牛肉店の内部を想像されたい。これへ又相当ヤニつこく化粧した黒えりに日本髪(主として銀杏返し)、丸帯に前掛け姿、たすきがけの年ごろの女中達が配色される次第で、みいり[#「みいり」に傍点]もきりやう[#「きりやう」に傍点]も良い女中頭は別として、女中達の一般は、紺足袋だつた。白足袋では、アブラつぽくなるその日その日のつひえ[#「つひえ」に傍点]が負担に堪へないからである。
女中達には座持ちの「サービス」つまり客笑談までのことはあつても、色めいたサービスは無い。若しあれば彼女は職場を退かなければ
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